私の70代は、
壮絶なリハビリで始まった

七十二侯 美しい日本

新しい人との出会い

いきいきからの手紙

私の70代は、
壮絶なリハビリで始まった

七十二侯 美しい日本

新しい人との出会い

いきいきからの手紙

さて、
どうする70代

「六十代になって半ばを迎えるころ、急に老けるひとがいるんですね。
すっかり女性ホルモンを失(な)くしてね」
と、だいぶあとに婦人科の先生に聞いたことを思いだしました。
「病もまた、女性を急に老けさせる」。これは私の実感。
そうはなりたくない、若々しくありたい、
そんな見栄にまで六十代を苦しみ
七十代を生き抜く私から、
六十代になった方へお話できることがありそうです。
多くの七十代の方々が身体の激しい変化に戸惑っています。
五十代やもっと若い世代の方でいきいきに興味を持たれたら、
遠慮なく「いきいき はじめよう」に参加してください。
八十、九十代も求めるひとよ来たれ!
年齢を超えた友情のたっぷりした喜びを準備しておきますね。

65歳時

監修/文
片寄斗史子

片寄斗史子(かたよせ・としこ)
1950年島根県生まれ。
雑誌「いきいき」創刊編集長(1996~2010)
エッセイスト

いきいき
はじめよう

いきいき はじめよう

健やかな死に向かって生きる。
やさしきすぐれたプロの
リハビリテーションに学ぶ。

いつのまにか 試練の新しい世界へ

あのひと、どうしているかしら。

けして長くはない人生の、あるまとまった時間を濃くともにした人たちとも、すっかり音信が途絶えてしまう。70歳も過ぎれば珍しいことではなく、また、それっきりにもなりがちです。私が「いきいき」で多くの方とおつきあいをしていたころから、もう二十年以上が過ぎています。

こんにちは。
長いあいだ、ごぶさたいたしております。
「あのひと、どうしてるかしら」の一人かもしれませんね。
片寄斗史子です。

この手紙は、七十六歳になろうという私が再びあなたと出会うための新しいサイト、その名も「いきいき はじめよう」の最初のページです。
また、「いきいき」は知らないけれど、七十代になって思うこと多く、何か話したい、聞きたいことのある方との新しい場を願ってつくったサイトです。

こうして、再び一つのネットワークが生まれた背景には、新しい仲間や長いつきあいの友人の強いすすめが あったからです。
あなたにも、これから手紙やメールで参加してもらえたら、どんなに心弾む時間が互いに生まれるだろうと、そんな活発な交流の場を作りたいと考えながら、この手紙を書いています。

いまは令和八年。酷暑のあとの、残暑と初秋の気配が繰り返されて、いまは師走の慌ただしい日々。曼珠沙華の花便りも過ぎたというのに暑さの知らせも続き、かと思えば朝晩は冷んやりとした風が新秋を知らせました。朝夕の鳥の声も軽やかに透き通り、しんとした夜更けには虫の音(ね)が次第に弱くなり、「さよなら」にも似て心の奥まで染み渡ります。

秋の日差しが強くなれば、金木犀の季節です。つい先日、金木犀の枝先を切った十センチ余りの小枝が数十本、手に入りました。大きな樹を下から見上げるばかりで初めて見る枝先には、本当に小さな蕾が硬く細い枝にしがみつくように付いています。海のなかで岩にしがみつく貝のようです。この蕾が明るい光に照らされて膨らみほころぶに従って、あの香りに包まれていくのだそうです。見続けていくのが楽しみでした。

いまから四年半ほど前の夏から
年末までを、
私は日常を遠く離れて、
入院、手術の日々でした。

いきいき時代のあとは、生まれ変わるという還暦、六十代の始まりでした。あらためて希望を持つ心とは裏腹に、私の体は腰の痛みを訴えるようになり、思うように早く確かには歩けなくなり行動や気持ちが消極的になって、生きづらくなっていました。長いあいだ長時間座り続けて働いてきたからだと思います。痛みとともに整形外科通いが始まり、痛み止めの服用を重ねました。よく聞くように「脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきようさくしよう)」との診断でしたが、病院を変更すると「ヘルニア」とのこと。七十ニ歳の夏に手術をすることになりましたが、ここからが大変。次々と診断名が続きました。

貧血のために手術延期。検査の結果、この原因にがんが疑われ徹底検査。が、どこにも気がかりなし。するとある日、どうにも自力で起き上がれなくなり友人たちに助けられて救急車で病院へ。筋融解症、でした。増やされるままに服用を続けた、痛み止めの薬の量が原因でした。意識は朦朧(もうろう)とし、「ひざをあごにくっつけてください」などとうながされていた様子は笑い話でしたが、筋融解症は治まっても手術はできず寝たままで事態は深刻でした。

この状況を救ったのが、一般的には術後に行われる歩行改善のリハビリでした。同室の患者さんの「リハビリ行ってきまーす」という言葉を聞くたびに不思議に心が動いて、「私も、リハビリをしてみたい」と、術前ですがお願いをしました。手術を待つだけの休養には、それなりの静かな遠い思いもあり、私の日々はこのまま終わってもいいと思わないでもなかったのですが、人生そんなわけにはまいりません。
リハビリの何たるかも知らないまま惹かれたのは、ぼんやりと歩行改善の希望を叶える手段だと感じていたからだと思います。手術を終え実際に始めてみると、さらに私の体は歩行に向かって、まさしく歩き出しました。
院外歩行をするようになると、安穏とした入院気分は一転し、退院後の生活への強い希望を実感するようになりました。

さらなる試練の追い打ち

そんな退院目前のある日、さらに新たな病名が告げられました。パーキンソン病。進行の続く難病です。この診断にはまいりました。病になると老けていやだなあ、などと思っている事態ではありません。どうしよう、と考えながら、薬で症状を抑えつつ、いよいよリハビリの継続が重要だと実感しました。

安全歩行のための杖一本を頼りに退院したのは、半年の入院後、その年の暮れです。年が明ければ七十二歳。私は、まるで用意をされていたように、通所リハビリに力を入れるデイケアに通うことになりました。ここでの日々は私に新しい世界、新たな人々との大いなる出会いを恵み、いつのまにか私は力強く生きる気力を身につけていました。

体は履歴書、私の体はいまどのような形か。そんな恥ずかしくなるようなことを指摘されるのが、リハビリの第一歩です。この現実をしっかり受け留めて、正しい体の使いかたを学ぶのです。

病気になって当然

私のこれまでを知る人の多くが、私の仕事ぶりから、あんなに働けば、あんな働きかたなら病になっても当然、と言いました。確かにそうですが、私自身はそんなことを考えてはいませんでした。これまではこれまで。私にできる人生を懸命に生きてきたと認めています。もちろん反省はあります。それを、これから日々の形にする、それが私のリハビリテーションです。生活習慣、働きかた、学びかた、愉しみかた。
これからどのような生きかた、暮らしかたをすればいいのか、病とリハビリから得ることができます。私は、新しい日々の目標を、再生、という言葉に決め、そのための具体的行動を書き出しました。

さあ、あとは行動あるのみ。リハビリのプロとの新しい出会いは、私に過去を認め未来を築くための大いなる師でした。この具体的なことは回を追ってお知らせいたします。

そして、私は、このネットワーク、その交流の狙い、仲間のありようを次のような三つにまとめてみました。

  1. 心を強く持ち、自分にできる生活、勉強、運動、仕事、奉仕を自ら積極的に取り組むことができる。
  2. 心を広く持ち、人や生きもの、自然、この世を愛する器量を自ら育て持つことができる。
  3. 生きていく、その過程に出会うことすべてに感謝ができる心を持つことが可能になる。なぜなら心は柔らかく鍛えることができるから。

いかがでしょうか。
あなたは、どんなことを、このネットワークに期待してくださいますか。ぜひ、教えてください。
※手紙やメールは、次の宛先に送ってください。

Info.ikiiki@gmail.com
162-0825
東京都新宿区神楽坂3-6丸岡ビル4階