いきいきからの手紙
ひとりでないことを
実感したくて、
まだ見ぬあなたへ
手紙を書いています。
泣くことしかできない。
そんなときがありますね。
つい最近、都内のあるオフィスビルに仕事で出かけたときのことです。
トイレをお借りしていると、4つ、5つある個室の端から、鳴咽がもれてきます。
若い女性のようです。そういえば、個室は1つだけ使用中でしたから、いまなら涙を流しでもいいと思っていたところに、私がやってきたのかもしれません。
本当に悲しいとき、悔しいとき、涙はすぐには止よりません。
鳴咽は大きくなり、私もドキドキしてきます。
よっぽどのことでしょう。そっと「頑張って」と声を残して出ました。
高校生のときでしょうか。たよたま早朝に父親が寝ている部屋の前を通って、父の抑えた鳴咽を、初めて、一度だけ聞いてしまいました。
大人の男のひとでも、こんな、たまらない泣き方をするんだとショックでした。思うにまかせられないこと、気持ちが伝えられないとき、心が通い合わないとき。誰もが悲しくてたまらなくなって泣き出します。
わかってほしい、認めてほしい。それが満たされないと感情は煽られます。
わかっているのに頑なで、心を打ち解けられない。それでなくても平坦ではない道を歩まねばならないというのに、身近な人間関係をこじらせる心とはやっかいですね。そうしたあれこれを思いながら、夫婦、家族はもちろん、職場や地域など、人は、自分ではない誰かと関係を築きます。
そして、どうやら、それが自分の人生となるようです。
言いたいことと言っていいこと、悪いこと。ああ、大変です。だから賢さ、やさしさが必要ですが、いちばん大事なことは、笑って通れるように、明るく生きることのような気がします。
赤毛のアンは、もっともわかりやすくそのことを教えているような気がします。ややもすると「自分だけソン」と損得の価値観を人間関係のなかにまで持ち込んでしまいがちですが、アンの物語はそれを戒めています。
自分にできることを惜しみなく。どんなにささやかでも誰かの心と自分の心が通じたら、それだけで1日は晴れやかな日に変わります。
それが身近な人であればなおのこと。
いい冬を見つけたい
山を越えて吹きつけてくる乾燥した風は「空っ風(からっかぜ)」。木の葉が落ちる様子や音は雨になぞらえ「落葉時雨」とも呼ばれます。散りゆく葉は、木から放されるのではなく自ら離れていくのだそうです。その時季を知り時雨のように次々と散る姿がまた、美しい景色となっています。よく乾いた大きな落ち葉を踏んでしまった時、思いもしない鉄板のような強い音がして驚いたことがあります。葉脈のたくましさを知る思いでした。そんな時季でも、東京では乾燥のためか煌々と月が現れ早い夕暮れから明るい夜を迎えられます。月の美しさを眺めていると、ラジオから「朝5時。犬の散歩に出ると朝日までにはまだ時間がありますが、月と星で驚くほど明るいですよ」との投稿が読みあげられました。一度は体験したい星月夜です。
雪の季節の始まりはこんなやさしい雪ではなかったでしょうか。三好達治の「雪」という詩です。
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
夜更けに辺り一面を静かに覆い、朝に知る雪の風景。忘れることのできない、最高の雪の詩です。今の時代は「雪月花」の情感より、大雪、豪雨の異常気象に気をつけなければなりませんが、家々に目をやれば季節は山茶花を咲かせ、蜜柑をあたたかな橙色にぼかして実らせています。寒さは身にこたえますが、いい冬を見つけたいと思います。
光の贈りもの
すりガラスで仕切った向こうの部屋が、 燃えるように真っ赤になっています。 早起きをした朝、早春の日の出を過ぎた時刻。 東に掃き出しの窓のある部屋です。 まさか、何かが燃えているわけではないし、何か赤いものを置いたままにしたから、そこに朝陽が当たっているのかしら部屋に入ると、 強烈な朝陽がまさしく赤い帯となってまっすぐ壁に向かって “突撃”しています。
遠くに大きな夕日を眺めることはあっても、 ご来光や朝焼けには縁のない日々を送ってきたので、 初めて浴びる強烈な朝の光でした。冬から春へと移る過程で、 その東向きの部屋にちょうど太陽が真向かう そんな日の朝だったのでしょうか次の日には赤い色も光も格段に弱くなっていました辺りの色を変えるほど、夏のしたくが整いつつあると言わんばかりに春を告げる光は強い力を持っていました柔らかく感じていたのは、空気の冷たさに弱められてのことだったのですね。
この光を浴びて地面にはいち早く草が萌え葉っぱのない枝に悠然と花が咲くのです。

