リハビリ日記

新しい人たちとの出会い

「ライフサポートひなた」の人々、
たくましい90代のメンバーに
励まされる日々

「他とは全然違う! このリハビリに助けられた」

医療法人社団 健育会 介護老人保健施設 ライフサポートひなた

92歳。
ひとり暮らしを決断した女性は車椅子から自力歩行を可能に。
「ライフサポートひなた」のリハビリテーション。

【責任者 黒川先生の方針】

⑴けがや事故による体の変形を修復し、失った機能を取り戻す意味で使われる狭義の「リハビリ」に加えて、体と心、自分が感じる力、自分で考える力をも取り戻し育て直そうという場合には略さず本来の 「リハビリテーション」を使う場合が多い。自分という人間性を全身で確認して自覚、育むという意味からです。

従って、ひなたでは利用者の方どうしのお喋りをはじめ、私の趣味から始めた月に一度の食後の珈琲サービスや手作りパンの提供(時間も香りもサービスもリハビリテーション)、納涼祭や運動会などのレクリエーションもリハビリテーション効果を考えて実施している。いつもと違う時間は緊張とリラックスを与え、ホルモン効果も高い。クラブ活動のようなフラワーアレンジメントや折り紙なども心身全身的効 果があります。

⑵利用者方々は、われわれ理学療法士や言語療法士から週に一度から三度、20分間のマン・ツー・マンのレッスンを受けることができます。
短い時間ですが、緊急な対処を求められる痛みや不調を取り除き、各自のテーマにそって施術を行います。そして自主トレの指導、日常生活の指導と一人ひとりの症状の変化を見逃さないように観察・確認を行います。

リハビリから リハビリテーションへ

「自分を再び取り戻す」
ひなたのリハビリテーションを信じて。
70代になって大病し、
新たな人生が見えてきました。

怒涛の1年、という人生の時間のとらえかたがあります。
思いもかけないことが起きるのが人生、ともいいます。

こんなはずではなかった、と過去と現在の時間をつないで語る人は少なくありません。逆にあんな無理をすれば当然の結果、自分で自業自得と言う人は少ないかもしれません。どちらも、どのような事態であれ自分の過去と未来を否定する考えはしたくないなとわたしは思います。
60歳から70歳へと。わたしに訪れた人生の荒波をわたしはどんなふうに思っていたのか。これから先、どうやって生きていこうと考えたか。長いあいだ、「二十四節気と七十二候」を書くことで、わたしは心身をときに励まし整えて暮らしてきましたが、「年を重ねていく体」はそれだけではかないませんでした。わたしは生まれ変わるための、まず体と心の生活習慣の立て直しを後半生の指針とし、生きかたを定めてみようと思いました。その導きが「再び、取り戻す、リハビリテーション」でした。

重なる病

令和3年12月の半ばに、わたしは5か月の入院生活を終え、退院しました。
杖をつき、友人と職場仲間に守られて戻ってきました。長い日々でしたが、わたしは運よく安全な場所に逃げ込んでいたような、そこで安心して自分と向き合えたような、自分のいたらなさを素直に認められた、そんな落ちついた気分でした。コロナのために面会ができなかった仲間たちとの再会はうれ しく、緊張感を伴う新しい日々が始まりました。
振り返れば、5か月のあいだ、1か月ごとに私の病名は新たに加えられました。貧血に始まり、薬による横紋筋融解症で寝たきりに。腰椎椎間板ヘルニアの手術のあと、決定的だったのがパーキンソン病でした。わたしは車いすで要介護となりリハビリテーションにまい進しました。

リハビリテーションとは何か

わたしのリハビリテーションは、人間(の体)とは何か? 体と心と生活はどのように関係するか、生きるとは? などなど、根源的な問いに応えるものでした。みなさまの体と人生の転機がやって来るときに、なにか役立つはずと、連載をお届けすることにいたしました。お読みいただければ幸いです。
70代になって大病し、新たな人生が見えてきました。

「体の転機と人生の転機は、同時にやってくる」
60代に注意して!

思いもかけない困惑の日々

人はどのように老いるか。もっともわかりやすいのが、病を経験すると老いる、です。全身の気配が何とはいえずはっきりと老けます。あるいはもうひとつ、人生の転機あるいは戸惑いもジワジワと人を老けさせます。
思いもかけない困惑の日々、持ちこたえられないできごとに見舞われたとき、人は「いつまでも若く、元気で」などと言ってはおれないのです。考え足らずでもみっともなくても全身でわが人生に立ち向かうしかないはずです。結果、どんなに老けようと、それが自分の生きかたであったと、わが人生の立ち位置 を思い知らされます。
救急車で運んでもらい友人に付き添われた私は意識朦朧。診断は、腰の痛みから解放されたくて言われるままに飲んだ痛み止めの薬の量が多すぎたための「横紋筋融解症」でした。言葉どおり筋肉を失う病です。約1か月、横道にそれたような気分で意識も体調もクリアにはならず寝たきりのまま、いつどのよ うになるとはわからないまま過ごし、なんとなく回復すると、本来の腰の痛みの原因である「ヘルニア」の手術に臨みました。
60歳になる辺りから腰の痛みに悩まされ、70歳間近になると何をしてもどのようにしても痛みに耐えられず、整形外科では「狭窄症(きょうさくしょ)」との診断で、痛み止めの処方を受けていました。加えて、60代、わたしは疲れやすくなっていても、無理を重ねても、仕事に将来を描こうといくつかの新しい 仕事に向かっていました。

「やっぱりね。無理していたからね」
と誰もが言った。

強い肉体と精神を持つ父と、しっかり者の母のもとに生まれたわたしは、精神はともかく自分自身の体と元気には自信がありました。徹夜も平気、とことんコツコツと作業のできる粘り強さも育ててきました。自分なりに食事など気をつけているつもりでしたから内臓に問題はなかったのですが、外側がやられました。体の中に病を受けたひとがサッサとどこも悪くないように歩けるのに較べると、わたしはいち早くおばあさん体型、ヨタヨタと歩くようになっていきます。これは大いなる“老け”でがっくりです。体力、気力を過信し、自分の体に無頓着であった。これがわたしの病の原因です。こんなはずではなかった、とは、とても言えません。わたしの未来は自分の過去の失敗を認めやりおしができるかどうかにかかってきました。70代になって大病し、新たな人生が見えてきました。(つづく)